大和丸ナス食育イベントへの想い
昨日、告知いたしました
食育×農業 親子イベント
私自身、このイベントが楽しみでなりません。
先日、一緒に企画・運営してくださる
奈良市4Hクラブの、20~30代の若き農業家さんたちの、
農業への熱い想い を聞いてきました。
お酒を飲みながらの本音トークに、
お~っ!これなんだよね~! と話に引き込まれました
私がやっている食育イベントは、
ボランティアでも、赤字でも、とにかく今はやり続けると決めて、やってきました。
だから、常に、自分自身に、
「なぜ、食育イベントをそこまで力を入れてやり続けるのか?」
とやる意味を問いかけ、自分なりの答えを持って進んでいます。
そんな中で、
農家さんからお聞きした話に、共鳴し、刺激を受け、また新たな原動力となっています。
最近は、
野菜の旬がなくなって、品種改良により、一年中同じ顔ぶれの野菜が出回るようになりました。
それでも、地元でとれなければ、遠い鹿児島や北海道から、また海外からでも持ってきて、店頭に切らさないようにしていますよね。
たとえば、
季節はずれのタイ産のオクラを見たりすると、
この肌寒いときに、オクラの叩きを食べるの?なんて思ってしまうこともしばしば。
そういう、日本人として、食から感じ取る季節感を大切にしたいという想いだけではありません。
冬に旬の野菜を、夏に栽培できるように改良して売ることで、
私たちはかえって栄養を摂れなくなっています。
同じ野菜でも、旬でない季節に食べると、旬のときの1/3しかビタミンCがないものも・・・・・・。
でも、知らずに、買った野菜で、きちんと栄養が摂れると信じて食べているのではないでしょうか。
こういうことが起こってしまったのは、
消費者である私たちが、
生活に「便利さ」 を追求してきた結果かもしれません。
そういう私も、スマホはもう話せないし、パソコンも毎日開かないと落ち着かなくなっています
洗濯機ができたことで、洗濯板で洗う労力がはぶけた。
この便利さは、本当によかったと思います。
でも、野菜に関しては、便利さを求めるがために、失ってしまったものが大きすぎるのではないでしょうか。
そして、そのしわ寄せが、農業にいっていると思います。
これが、イベントでお話ししてくださる辰巳さんと盛り上がった話のひとつ。
日本は、野菜の流通に、スーパーが深く入り込んでいるから、
ややこしいことになってしまった、と。
生産者→八百屋→消費者
の時代は、よかったのです。
野菜のことをよくわかっている八百屋が、買うときに、私たちに正しい情報をくれていたから。
生産者と八百屋、八百屋と消費者でコミュニケーションが取れて取引されていたから、
ある野菜が旬でいっぱい採れたときには、
八百屋さんが、お客さんに、この野菜は旬だからいつもよりもずっとおいしい!、こんな料理にして食べると旨い!などのトークで、上手にさばいてくれたものです。
お客さんが次来たときに、
こないだのアレ、おいしかったよ~
という言葉も、生産者に伝わった。
スーパーが主流となった今、
その関係は崩れています。
必ずしもそうとは言えませんが、
消費者の要望が無茶だったり、道理に合ってなかったにしろ、
それが消費者の求めることなんだからということで、
土がついていない野菜を栽培はできないかとなったり、
同じ長さ、太さの規格に合致するものだけしか仕入れないということになったり、
ということが、農業に当たり前に要求されているのです。
そして、それに応える努力をしてきた結果、
ちょっとおかしなことになっていませんか?
というのが現状だと思います。
昔に戻るのがいいというわけでは、ありません。
農業技術も進歩していますから、
現状を見直し、これからできることを考えるほうがいいのでは?と。
今後の農業のあり方を考えるときに、
消費者である私たちの考え方が、重要になってくるのではないかと思います。
だから、私は学びたいのです。
このことは、残念ながら、本を読んでも勉強できないですから。
生産者さんが発信する機会に、なかなか出会えなかった。
だから、その機会を大切にしたくて、
こうして、食育イベントを企画しています。
体験して、じかに話を聞くからこそ、伝わってくるものがある。
そう感じています。